ユーリの備忘録。

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東大の黒歴史!光クラブミステリーとは?天才・山崎晃嗣の事件【爆報!THEフライデー】


2016年9月23日放送の
『爆報!THEフライデー』では
実録・東大の黒歴史”と題して
光クラブ事件が取り上げられました。

『爆報!THEフライデー』の
いつものパターンだと
きっと疑問の残る放送になる気がしたので(笑)

あらかじめ光クラブ事件について
調べておきました!

光クラブミステリーとは?

 

光クラブミステリー
1949年11月24日に起こった
闇金融の社長が自殺した事件。

闇金融の名前が「光クラブ」で、
光クラブ事件”とも呼ばれています。

光クラブ」の社長の名前は山崎晃嗣

15000円を元手に「光クラブ」を
東京都中野区鍋屋横丁に開業し、
わずか半年で銀座に進出するという
大成功を収めた人物です。

光クラブ」は社長と常務が東大生、
専務は日本医科大生、
監査は中央大学生という大学生による会社。

東大生が中心になって経営していることで
当時注目を集めたそうです。

光クラブ」は積極的に広告を打ち、
多額の資金を集めることに成功し
商店や企業に高利で貸し付けていました。

しかし1949年7月4日、
社長の山崎晃嗣は逮捕されてしまいます。

容疑は物価統制令違反。

物価統制令というのは
物価の安定を確保することで
国民生活の安定を図ることを
目的として施行された法律です。

価格の最高額が指定されたり、
不当に高価な取引を禁止するなどが
物価統制令の主な内容。

そして“暴利”も
取り締まりの対象になっています。

光クラブ」の出資者への利息が
法律に違反していると摘発されたのですが、
山崎晃嗣は利息ではなく配当だと主張。

山崎晃嗣は不起訴となりましたが、
これがきっかけで出資者の信用を失い
業績は急激に悪化しました。

会社の名称だけを変更したり、
株の空売りをしたりと
資金調達に奔走しましたが
全て失敗に終わり・・・

約3000万円の債務を履行できず
債務返済日の前日である
11月24日に遺書を残して
青酸カリによって自殺したのでした。

残されていた貯金通帳の残高は
わずか2700円だったそうです。

山崎晃嗣は遺言と辞世の短歌、
高利貸の述懐を記した手記も残していました。

検索すれば辞世の短歌の画像は
今でも見ることができます。

東大史上最も天才と言われた男!

 

山崎晃嗣は千葉県木更津市で
医師であり市長であった父の元に
五男として生まれました。

学徒出陣により陸軍主計少尉に任官され、
北海道旭川で終戦を迎えた後に、
横領容疑で逮捕されています。

判決は懲役1年6か月、執行猶予3年でしたが
尋問時に警察から虐待を受けたり、
約束していた分け前をもらえなかったり。

また、戦時中には上官のリンチによって
同級生を亡くした上に秘密にさせられたりと
さまざまな失望や虚無感を
山崎晃嗣は抱えていたようです。

「人間の性は本来、傲慢、卑劣、
邪悪、矛盾である」
山崎晃嗣は後に記していました。

東大史上最も天才と言われた男の人生は
戦争によって歪んでしまったと感じます。

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大学ノート3冊分の日記

 

2007年、山崎晃嗣
3冊の大学ノートに記していた
日記が発見されました。

古書店が入手し、
神田の古本まつりに出品されたのです。

1946年3月24日から1947年12月まで
山崎晃嗣が記した日記。

上官に命じられて米や砂糖などを
横流ししたとして横領容疑で逮捕され、
釈放された後に実家に戻ってから
日記をつけ始めたそうです。

日記には上官への報復の思いや
現金を恐喝する計画も記されています。

投獄時には自殺を試みたものの、
しくじったことも記されていました。

北海道の軍用物資の転売や
古切手の販売などを考えていたことも
日記には書かれていたので
光クラブ」を開業する前から
何らかの商売をしたいという
意志があったことがわかります。

東大で全優を目指して勉強した内容、
そして友人との会話の内容や
睡眠などの細かいスケジュールが
偏執狂的に記録されていたという日記、
とても興味深いですね。

山崎晃嗣の最後の日記には
自殺の理由も書かれていました。

「私の合理主義からは、
契約は完全履行を強制されていると解すべきだ。

契約は人間と人間との間を拘束するもので、
死人という物体には適用されぬ。

私は事情変更の原則を適用するために死ぬ。

私は物体にかえることによって
理論的統一をまっとうする」

山崎晃嗣の自殺は
単に借金を精算するためではなく、
自らの哲学を全うするための死だったのだと思います。

山崎晃嗣は週刊誌の記者にこう語っていました。

「人生は劇場だ。
ぼくはそこで脚本を書き、
演出し、主役を演ずる。

その場合“死”をもかけている。

もっとも“死”そのものを
ぼくはそれほど、大仰に考えませんがね」

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