芸能事務所社長刺殺事件とは?容疑者のスタッフY・美人歌手Xは誰?【爆報THEフライデー!】

2016年4月1日放送の
『爆報!THEフライデー』
“芸能事務所社長A刺殺事件”
取り上げられました。

“実録!名前の出せない芸能界事件簿”
第9弾です!

芸能事務所社長A
容疑者となった所属美人歌手X
スタッフYとは一体誰なのか?

調べてみました!

芸能事務所社長A刺殺事件とは?

 

芸能事務所社長A刺殺事件が起こったのは
1964年4月24日のこと。

芸能事務所社長A
東京都港区芝高輪北町の自宅
“永楽荘”に血まみれで帰宅しました。

当時芸能事務所社長Aは30歳。

当時29歳だった妻に、
最後の言葉を残して絶命しました。

その最後の言葉というのは
「相手はブルーバードだ」

※『爆報!THEフライデー』では
“白い車”として放送されました。

自宅の前には車のスリップ跡と
大量の血が残されていました。

また、傍にあった電柱の下からは
刃物を包んでいたと思われる
鞘状の新聞紙が発見されています。

芸能事務所社長Aの最後の言葉から
犯行に使われた車“ブルーバード”
行方を警察は探し始めました。

しかし“ブルーバード”
港区新橋で盗難されていたことが判明。

品川南大井で乗り捨てられているのを
翌朝発見されました。

容疑者として浮上したのは
スタッフYと所属の美人歌手X

美人歌手X芸能事務所社長A
言動に不満を抱えており、
独立を画策したと言われています。

しかし美人歌手Xには
事件当時にレコーディングを
行っていたというアリバイがありました。
もう1人の容疑者が
会社で金銭トラブルを起こしていた
スタッフYです。

会社の預金600万円を別口座に移し、
芸能事務所社長Aから叱責されていた人物。

私生活では妻子がありながら
愛人を2人も囲っていて生活ぶりは派手、
さらに前勤務先では恐喝事件を
起こしていた人物です。

しかしスタッフYにも
アリバイがありました。

事件当日の夜は銀座のバーで
芸能事務所社長Aと飲んでいました。

ホテルの前で別れてから、
再びバーに戻ったスタッフY
バーの女性とホテルに行っていたのです。

そこで警察は、
以前スタッフYが起こした恐喝事件の
共犯者に事情聴取を行いました。

そこでスタッフY
この恐喝事件の共犯者に
殺人の話を持ちかけていたことが発覚。

この証言により、スタッフY
嘱託殺人をしたものとして
警察は逮捕に踏み切りました。

スタッフYは競艇場で知り合った
タクシーの運転手に
芸能事務所社長Aの殺害を
依頼していたことが判明。

謝礼は60万円だったそうです。

芸能事務所社長Aは誰?

 

被害者の芸能事務所社長A
“三芸プロ”の社長だった
滝本匡孝さんです。

1959年に三木鶏郎さんの
マネージャーとなり、
翌1960年に“三芸プロ”
設立した有能な方だったようです。

“三芸プロ”は銀座にあり、
民法コマーシャル専門の
プロダクションでした。

滝本匡孝さんは仕事熱心で
素行も堅実だったため、
警察の捜査では
友人・知人から不審者は
出なかったとのこと。

“三芸プロ”の経営も順調で、
30歳という若さを考えると
本当に有能な人材だったのだと
思います。

残念ながら“三芸プロ”
社長が殺害されたことで
1964年7月に解散となりました。

 

容疑者と実行犯は誰?

 

容疑者だったスタッフY
島田敏之という人物。

当時29歳でした。

ちなみに恐喝事件の共犯は
同級生だったそうです。

動機は「会社を乗っ取るため」

当初は精神病と鑑定され、
無罪となっていましたが
詐病であることが判明し
無期懲役となっています。

実行犯は酒井という人物。

酒井は当時25歳でした。

福岡県田川市で逮捕されたものの
酒井は当初犯行を否認。

しかし刃物を包んでいた新聞紙から
切り抜かれていた献立記事を
酒井の義妹が切り抜いていたのが発見され、
犯行を全面的に認めました。

実際は献立記事ですが、
『爆報!THEフライデー』では
“庭いじりの記事”として
放送されていた新聞紙の穴ですね。

酒井も無期懲役となっています。

スタッフY島田敏之は、
総務課長をしていたそうです。

もう一方の容疑者だった
美人歌手Xについてはわかりませんでした。

歌手では楠トシエさんや岸洋子さんが
三芸プロに所属していたようですが、
なにせ古い話なので詳細がわかりません。

ネット上にもほとんど情報が
残っていない事件なのです。

古い事件の情報をまとめているサイトでは、
捜査線上に美人歌手Xが浮上したことすら
記録されていませんでした。

もしかしたら事件があった当時は、
美人歌手Xについては報道も
されていなかったのかも知れませんね。

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